信玄は永禄12年(1569)10月、家康が越後の上杉謙信と盟約を結んだことを知り、これに刺激されて翌年の元亀元年(1570)、いよいよ本格的に遠江への侵攻を開始することとなった。
元亀2年(1571)2月、信玄自ら2万の大軍を率いて甲斐を出発し、3月に高天神城の南東にあたる塩買坂(現在の菊川市川上)に陣を張り高天神城の攻めにとり組んだ。
しかし信玄は、「城外に出ている高天神城の兵たちを城内に押しもどすだけでよい。」とばかり獅子ヶ鼻(現在の菊川市大石)と国安川のニケ所で小競りあいを行なっただけで、三河に進み、伊那を通って甲斐にもどった。
真相は、高天神城が天嶮の要害に築かれた堅城であるのを見て、力攻めをあきらめたようだ。 こうして第一次高天神城の戦いは終った。
このとき城に籠った兵は、城主小笠原長忠以下2,000名といわれる。

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