2007年11月
依然書いたカブトムシ幼虫なのですが、最初6匹だと思っていたところ、土の中にまだ5匹もいまして、現在11匹(^_^;)
土の減りが早い事・・・
というわけで、土の入れ替えを致しました。写真も撮ったんですが、だいぶ○○なのでちょっと、躊躇・・・
最近、みなさんがコメントを入れてくれる!
うれしいな~とか思いつつ良く見ると、並び順が変だ!
って、事でちょっと調べて、wp-comments.phpの7行目
$criteria->add(new Criteria('comment_approved', '1 '));// Trick for numeric chars only string compare
の、後に↓を挿入して直った(^_^)v
$criteria->setSort('comment_ID');
$criteria->setOrder('DESC');
※単なる覚え書きのを読んでしまった方すいません m(__)m
10年ほど前、私が当社に入社したころの話ですが・・・
修行先の社長が、その頃はまだ「地産地消」と言う言葉も余り耳にしないころから、今で言う地産地消に取り組んでいたんです。実はその社長、先ごろ「構成労働大臣賞」を受賞したのですが、その意思を引き継ぎ?ここ大東でも、そんな取り組みしてみたいな~と思っていたんです。
が、しかーし、現実には、そんなに簡単ではなく・・・
10年ぐらい前に私が出来たのは、パソコンでチラシを作る事ぐらいで、そのチラシに、「郷味菜彩」(きょうみさいさい)と言う言葉を使い始めていました。といっても、そのチラシも、3号ぐらいで頓挫したんですが・・・
で、何が言いたいのか?と言いますと!「郷味菜彩」という言葉を復活させます。
詳細は、また後日書きますm(__)m
はまぞうブロガーの坊さん今日も行くっ(たまに休み!!)の坊さんさん??と、遠州甲虫会の天雀さんによる、ブログ講習会。
ちょっと相談ごとで、はままつ産業創造センターの小出氏に会いに・・・
いろいろお話を聞いて頂いて自分の視野の狭さ、甘さに気づかされた一日だった(*_*;
明日からは新聞の社会欄もしっかり読もう・・・
私は、この家では4代目にあたるのですが旅館創業からは3代目になります。最近当館の歴史についていろいろ調べて見たりしています。
初代が「大橋屋」という大坂の旅館から新屋持ちとして、現在の場所に落ち着いたのがまだ明治の頃。その頃は、林業のような仕事をしていました。初代には子供がなく2代目(旅館創業者がこの人)が養子に入ったそうです。
創業者は、戦前戦中に浜野地区の射場へ訪れる将校さんがたくさんいらっしゃったので、その方たちへの宿をと料理の修業をし、18歳のときに家に戻り数年後旅館を細々とですが始めました。その頃は、「さくら旅館(だと思う)」「大橋屋」「浜松屋」と当館の4軒ほどが、旅館を営んでいたそうです。それが大正から昭和初期の頃で、旅館と射場へお弁当をお届けしたりしていたそうです。
その後昭和14年に現在の北館が建てられ、その北館は昨年屋根の葺き替えを致しました。さらに、増築という話になり、客室の設計図まで作ったそうですが、実家の大橋屋が家を買ってほしいということで、旧大橋屋の家屋を買い取り増築しました。
創業者にも、子供がなく私の父である2代目が小学生の頃養子として入ることになりました。 2代目は、高校卒業後、料理の修業を経て当館に入ります。その後は、高度経済成長で、近隣に工場がたくさん出来だし、工事関係者が主なお客様となります。今ある近隣の工場の新設時には何らかの形で当館をご利用頂いた関係者の方がいるはずです。
昭和54年には大広間を新設、カラオケブームに乗って多くのお客様にご利用頂きました。
その後、昭和62年に大橋屋から購入して増築した木造客室部分は建替えられ鉄骨2階建ての現在の客室になりました。
あ、その間昭和46年に私3代目が生まれ幼い頃から旅館や飲食業へと洗脳させられていくわけです。って、自分で言うなって(笑)今考えると、かなり周りからの跡継ぎへのレールへの落としこまれた?(いい意味でですが)気がします。
そして、このような歴史を踏まえこれからの当館をどう方向付けしていくか?3代目の私に乞うご期待ということで・・・今日はこの辺で
※身近な人からの限られた情報です。当館以外の情報に誤りがございましたらご連絡下さい。

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