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高天神城その6

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高天神城.jpg この他にも、数少ない資料や口伝から、又時代時代によって異なる築城形式から考えあわせ、郷土史家たちが作り上げた高天神城配置図や攻城配置図などを見ることができ、当時の激戦の模様を想像することができる。

高天神城その5

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高天神城.jpg 高天神城は、家康が攻略後城郭のすべてを焼き払い、する史跡は数少なく天正二年勝頼率いる武田勢の来攻の際、湧水攻めに合い小笠原勢が命をつなぎとめたとされる「かな井戸」や同じく天正二年の落城の際、勝頼に降伏しなかった軍監大河内源三郎が閉じこめられた「石牢」跡本丸跡に上る途中にある「三ヶ月井戸」を見ることができる。

高天神城その4

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高天神城.jpg 天正二年になると勝頼方の攻勢は一層激しくなり、五月には高天神城を囲み、一ヶ月にしてこれを攻略。  当時の高天神城は東遠江南部の要地として、重要な位置を占め、家康にとっては遠江平定の障害となるばかりではなく、浜松を脅かす拠点を築かれたことになる。  これは長瀬の戦果に勝る打撃であった。事実、同年九月に勝頼は浜松城を攻めるべく、二万の大軍をもって天竜川に至った。  家康も天竜川を隔てこれに対峙したが、連日の大雨で水嵩が増し、勝頼は進撃を諦め信州伊那を通り甲州へ引き返したといわれている。

イベント@S - 高天神城跡 一般公開.jpg国指定史跡の高天神城跡で発掘調査を続けている掛川市教育委員会は、本年度調査対象となった「的場曲輪(ぐるわ)」から見つかった、倉庫跡とみられる石敷き遺構を10月29日に一般公開し、調査担当者による現地説明会を実施します。同市教委によると、中世の山城跡で石敷きの遺構が発見されたケースは珍しく、県内では平成15年度、同じ高天神城跡の本丸で同様遺構が見つかって以来2例目。

 

開催日 2005年10月29日(土)
開催日補足 雨天時は翌30日に延期 開催時間
公開/11:00~15:00 説明/11:00、14:00
会場 高天神城跡
主催・共催・後援など 掛川市教育委員会
問い合わせ先 掛川市教育委員会
問い合わせ先TEL 0537-21-1158

(静岡新聞社@S編集室 提供)

高天神城その3

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高天神城.jpg 武田信玄・勝頼と徳川家康・織田信長が高天神城攻略を巡り、激しい戦いを繰り広げた。  西上を目指した信長が、上洛の志し半ばで信州伊那郡駒場に於いて没した後、子勝頼が父の志を継ぎ遠江、三河に侵攻を続ける。

高天神城その2

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高天神城.jpg 緑の木々や花々が季節を告げ、鳥たちが密やかに自然の賛歌を囀る、正に自然の真っ只中という感じがする。  何気なく見過ごしてしまいそうな、ちょっとした窪みや小高い丘が、高天神城の要塞としての役割を果たしていた。  現在ほど交通網が整備されていない、戦国当時には高天神は三河、遠江、駿河を結ぶ重要な拠点であり、映画や小説で名高い、三方ヶ原や長瀬の合戦に関わりが深い。

高天神城その1

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高天神城.jpg 全国には、史跡を再現している所も数多くあるが、ここ掛川市ではあるがままの姿で、見る者により多くのものを語りかけてくれる。  単に散らばった石が石垣であったり、堀であったり、正に夢は荒れ野を駆け巡る如くにである。

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